セロトニン・ドライブウェイ

セロトニンというのは、脳内の情報伝達に関与する化学物質のひとつ。うつ病の「原因」として有力視されているのが「アミン仮説」で、「アミン」というのは窒素と水素でできた「-NH2」という「基」を持つ有機化合物の総称。神経細胞というのは、身体を作っているほかの細胞と違って、細胞分裂によって増えることは決してなく、ただその細胞の一端である神経繊維、ニューロンというのが異様に伸びて、お互いにつながり、ネットワークを構成する。「経験」を「学習」として定着させることができる物質的根拠はおそらくここにあるのだろう。その神経細胞間の情報伝達に用いられているのは、奇しくも人間がコンピュータというものを開発したときに、おそらくそれとは知らずに採用した「二進法」、0と1、「有」と「無」 に還元できる電気信号だった。

神経細胞と神経細胞のつなぎ目、「シナップス」と呼ばれる部分で、信号の伝達に関与しているのがさまざまな化学物質で、伝達元の神経細胞の末端からある種の化学物質が瞬時に「放出」され、これが伝達先の神経細胞の「受容器」に受け入れられることで、伝達が完了する。これらの化学物質は、伝達すべき情報が発生し、神経が「興奮」したそのつど生成され、伝達が完了すると直ちに分解されるという。恐ろしく「無駄」なことをしているように思われるが、かかる「冗長性」こそが、情報伝達の「安全性」を保障している。煩雑な「手続き」を要求することで、多段階の「チェック」機能が可能になる。急激な変動に対して「システム」全体を「防衛」することができる。


私は、2002年の夏だから、もう3年半前になるか、「うつ病」を発症した。病気というのはみなそうだがもちろんそれまでも「おかしかった」からこそ、その夏、初めて病院に行くことを決意した。約二年間、週一回の割合で通院し、SSRI(Selective Serotonine Re-intake Inhibitor 選択的セロトニン再受容阻止薬)の一種、パロキセチン、商品名グラクソ・スミスクライン社の「パキシル」の処方を受けていた。これが私の「セロトニン」との「出会い」だ。このパロキセチンという薬物は、情報伝達の際にシナップスで生成されたセロトニンが、その後、急速に分解される化学反応を阻害する機能を持つ。

そろそろ「セロトニン」を紹介しよう。
セロトニン
ベンゼン環と1個のアミノ基を持つから、「芳香族モノアミン」と総称されるグループの物質は、脳内情報伝達物質にはとても多い。
アドレナリンノルアドレナリンドーパミン
「興奮してアドレナリンが噴出した」みたいに日常会話でも用いられるアドレナリンは、交感神経の伝達にも関与するノルアドレナリンのアミノ基の水素がメチル基に置換されたもの。だから厳密にはアミンではない。ベンゼン環の水素が一個、水酸基(-OH)に置換されたものを「フェノール」、隣接した2個の炭素に水酸基が付いたものを「カテコール」と呼ぶ。ノルアドレナリンとドーパミンは「カテコールアミン」と総称される。これに対してセロトニンは、ベンゼン環の側鎖に窒素を含む5員環があり、その対岸に水酸基が付いた「インドール環」という構造を持っているから、「インドールアミン」と呼ばれる。

私は、自分が病気になったからこそ、その「原因」が知りたくて、こんなことを調べてみたりもした。わずか分子量150程度のこんなちんけな物質が、私の「気分」を決定している。「不本意」かもしれないが、むしろすがすがしい「敗北感」でもあった。どのような「哲学的」立場に立つにせよ、人は往々にして、揺るぎない「自己」を無条件に前提としてしまう。その「自己」がこんなぶよぶよの、かなり単純な化学反応の器だとしたら。

脳内情報伝達のメカニズムの不思議さの一つは、同じ化学物質が、いくつものカテゴリーの異なる、と、少なくとも人間には思える、情報に関与していることだろう。たとえばセロトニンは「満腹中枢」に関係があるといわれている。
パキシルという薬は副作用が非常に少ないことから広く用いられるようになったのだが、やはり少しはあって、服用していると常時、吐き気がする。たとえば、何気なくあくびをした瞬間、のどの奥から、もちろん身体が本当に嘔吐を要求しているのではないので、厳密には、吐き気に似た感覚、がこみ上げてくる。
過食しても吐けば大丈夫みたいな無謀な「嘔吐ダイエット」を繰り返した結果、鬱になったなどという話も聞くが、これは過食・嘔吐の繰り返しで、「セロトニン神経」のシステムが機能不全に陥ったからだ。

もう少しうんちくを続けよう。私は予備校で「化学」を教えたりしているが、もちろんイカサマだ。大学でちゃんと化学を研究したことなんか、ない。大学にまともに通ったことさえない。
たとえば数学や物理は、高校で教えている範囲のことならば、大体ちゃんと数学的に説明ができて、答えが出る。自慢してるわけじゃない、そういう構造になっている、ということだ。でも、化学というのはもう少し「実学」で、しかるべき物質としかるべき物質を混合したら、何色の沈殿が生じる、などという動かしがたい事実は、もちろんミクロなレベルでは、難解な理論でもって説明可能なんだろうけど、事実として羅列的に「暗記」できていなきゃ仕事にならない。
私は、正直、そういうのが、嫌いだ。茶褐色だか、暗緑色だか、そんなこと、知ったことか!調べればわかることを覚えさせてどうするんだろう?覚えて得意になってどうするんだろう?とはいうものの、相手はマジなんだし、受験に人生かかってると、少なくとも今は思ってんだろうから、そんなないがしろにするわけにはいかない。
だから、私は今でも勉強するの。もう30年近くになるのか、ほとんど1ページも読んだことはないのに、なんとなく処分する気にもなれなくて連れ添ってきた大学の教養課程の教科書、「物理化学」をこの夏、三日くらいかけて初めて最後まで読んだ。もちろん、偏微分の記号が延々と並んでいるページは軽く飛ばすんだけどな。
でも、「読書百遍、意自ずから通ず」って、あると思う。あくまで「化学」的なたとえで言うならば、あちこちで局所的に形成されていた澱のようなもやもやとした断片が、ある臨界点を境にして、一気に全体化し、結晶という構造物を作り出す。
思うに「理解」というのは、不連続な過程なのだ。ぜんぜんわからん、と思うっていた事柄が、ある日突然、すべて、隅々までわかるようになる。「腑に落ちる」というのはそういう圧倒的な経験でしょ?これだから勉強は、やめられない。
それでも私たちが、因果論にこだわるのは、私たちがそれしか想像できないからなんだろう。入力と出力の間に比例関係が存在するなんてむしろ例外なのに、臨界値に達するまでは、一切何事も起こらない、圧倒的なゼロ、ところが、それを超えると今度は、すべてが、一気に、進行する、完全な1、そのようなモデルのほうがずっと「自然」なのだということを教えてくれた「量子力学」が登場してからもう1世紀にもなるのに、私たちの常識は、「努力したから金持ちになれた」って言う愚直な資本主義のイデオロギーに、いやというほど反証を突きつけられているにもかかわらず、囚われたままだ。


閑話休題。何の話だったかというと、最近私、愚直に働いたかいあって少し小金もたまり、パーソナルコンピュータを買いましたの。前に買ったのが「ウィンドウズ98」発売直前で、対応できない旧モデル安値で放出みたいなで手にいれた95だから、もう10年ぶりか、買ったら買ったで、うれしくってね。なんか役に立つことしたくって、化学のテキストでも作ったろか、てなわけで、セロトニンの構造式書いてみたりしたのはその「余技」なんです。
マイクロソフト・オフィス共用ツールの「オートシェイプ」で六角形を作り、短い直線を60度回転させたり120度回転させたりしてくっつけ、元素記号は「テキストボックス」ふちなし塗りつぶしなしオプションで。最後に「すべてを選択」して「グループ化」して出来上がり、「ペイント」に貼り付けてGIFファイルで保存。
私は、こんな、およそ何の役にも立たない「技術」が、大好きだ。剰余、過剰、残余、ポトラッチ、蕩尽、贈与、おぞましきもの、ほっ!「バタイユ的に」いうのならば!資本主義がその過程で必然的に生み出す自らの敵対物は、プロレタリアートばかりではないかもしれない。
ふたたび閑話休題。せっかく作ったから紹介しとくわ。
メラトニン。セロトニンから誘導される物質で、お肌のメラニンと関係あるからこういう名前になったらしい。牛乳に含まれていて、安らかな眠りを保証してくれる。私は毎日、どんなに酔っ払っていても、眠る前には牛乳を飲むことにした。


メラトニン

これらの脳内情報伝達物質は、体内で生産される、もしくは体外から摂取されるアミノ酸を原料として作られる。一つの分子内にアルカリであるアミノ基と、酸であるカルボキシル基を併せ持っている化合物をアミノ酸と呼び、私たちの身体を構成するタンパク質の構成単位でもある。トリプトファンとチロシン、一目瞭然、それぞれ、セロトニンとアドレナリンの原材料である。トリプトファンは大豆にたくさん含まれているという。だからセロトニンの少ない私は、毎日豆腐ばかり食べている。
トリプトファンチロシン
調子に乗ってもう一つ、日本国の覚せい剤取締法によって規制対象とされているただ二つの化学物質が、以下の二つ。
アンフェタミンメタンフェタミン
アドレナリン、ノルアドレナリン、と「酷似」しておりますでしょ?これほど精緻に設計された私たちの身体も、この程度のまがい物で軽く「化かされてしまう」、これまた、すがすがしい敗北感であります。

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