STEP
ACROSS
THE BORDER


(1)人が集まれば、何かが生まれる、そう思います。
(2)私たちは決して争いを望まない。
(3)誰も殺したくない。そして殺されたくない。
(4)そして、あきらめない。
(5)一人でできない事も、心を同じくする人がそこにいれば、希望の扉は開くと信じています。

(3)については、多分そのとおりでしょう。殺しを生業をする人にとっても、それは真実かもしれません。
だけどそれと(2)とは、何の関係もありません。どうして胸を張ってこんなことが主張できるんですか?
スーパーのレジで、信号待ちの車の列で、市役所の窓口で、・・・・私は、人が争いを望んでいない、とは到底思えません。どうしてこんなわかりきったウソを書いてしまうんだろう。
際立った特徴をひとつ指摘しておくとすれば、「争い」という言葉と、「殺し」という言葉の意識的な混同でしょうか?
争ったからといって、いつでも殺すわけではない。そんなことはわかりきっているのに、(2)行目の「争い」が(3)行目の「殺し」にすりかえられているのは、あなたたちがしばしば用いる、きわめてあさましいレトリカルな「問題のすり替え」の一例です。