Somewhere Over the Rainbow
その、ポンチャンも、亡くなってしまった。
あっという間だったな。ジェリーさんが亡くなった2週間後の週末。
一日2回ないし3回、うんこやしっこで汚れた新聞紙を取り替え、下半身を拭く。その際、膀胱のあたりをマッサージして、ぴゅーとオシッコが出てくれるときもあれば、うまく出てくれないときもある。結局は私の仕事の都合で、ほぼ一日中家にいられるときもあれば、長く家を空けるときもある。そんなときは、出かける前にあわただしく新聞紙を替えては行くが、うんこまみれのまま我慢してもらうことになることもあった。
そんな日常にやっとなれたかなっ?て頃だった。
相変わらず、食欲はものすごくあってね、「性格のいい猫ね」もなにも、だんだん態度もでかくなってきて、のべつ幕なしに「なぁ〜〜〜〜あっ!・なぁ〜〜〜〜あっ!」と鳴いて呼びつける。
だから、きっとこうしてこんな風に、うまくいくんだって、高をくくってたんだけどね。
ジェリーのお葬式がすんで、点滴セットとか、薬をミルクに混ぜるために使ってたボウルとか、そういう「思い出の染み付いたもの」を片付けるでしょ。週に一度点滴セットと薬をもらいに行っていた病院にも、報告をしてごあいさつをして、そう、400本あまりたまってしまった注射針、「医療廃棄物」として処分してもらわなければならない・・・。
でも、なかなか「ふんぎり」がつかなくてね。延ばし延ばしにしていた。
その優柔不断さが、ポンちゃんにとっては、手当ての遅れとなって、「取り返しのつかないこと」にもなってしまった。悔やんでも悔やみきれないけど、まさに「取り返しの付かない」事であるからして、悔やまないことに、した。
この時期の子猫は、びっくりするほど成長が早いから、すぐ大きくなる。毎日見ていると気が付かないけどね。ほら、もう背中の傷も毛が生えてきて隠れてきたし、からだを手のひらに乗せてもはみ出すでしょ?
毎日うんこもおしっこも、それなりに出ている、と思っていたけれど、その量を見誤っていたのかもね。その週末、急に食欲が落ちた。前日あたりから、オシッコの出が悪くなっていたかもしれない。週末は連休で、病院の診療時間も短い。まごまごしていたのと、仕事の都合やらで、連れて行けなかった。
月曜日はとっても寒い日だった。ポンちゃんは下を向いてうずくまっている。身体が冷えているようだ。お湯を沸かしてペットボトルの湯たんぽを作る。2本のペットボトルを古靴下でくるんで、身体を取り囲むようにして寝かした。
翌日病院に連れて行く。尿道カテーテル挿入。たっぷり100CCほどもオシッコを吸引。血液も混じっていた。また、大便が尿道を圧迫していたらしい。もっと早く気づくべきだったんだね。おなかもすっかりぺっしゃんこになって、浣腸用のグリセリン入れてもらって、明日の朝には大量のうんちが出るでしょう、って感じで、私もすっかりこれで一安心だった。
夜になっても食欲が戻らない。ますます身体が冷えているみたいで、うずくまっている。とても寒い夜だったから、立て続けにお湯を沸かして、何度もペットボトルの湯たんぽ、作り直した。
昼間、病院の帰り道、ポンちゃんがあっさり回復するものと思い込んでたから、私は上機嫌で、ポンちゃん連れたままペットショップに立ち寄った。ポンちゃんを閉じ込めている小屋は、私がお仕事をしたりする部屋と離れているので、夜、私がコンピュータを前におとなしくお仕事していると、目を覚ましたポンちゃんに、当たりかまわぬものすごい大声で、「なぁ〜〜〜〜あっ!・なぁ〜〜〜〜あっ!」と呼びつけられることが何度もあった。だから、文字通り仕事の「片手間」にポンちゃんの相手ができるよう、ちっちゃなカゴがあればなぁ、そう、病院で使ってた緑色のみたいなの、・・・でも、そんなの売ってなくって、しょうがないからディスカウントスーパーで適当な段ボール箱もらってきた。それが「死の床」になるとは、もちろん思ってなかったんだけどね。
その夜私は、しなければならない仕事があった。しなければならない仕事はたいがい、毎日ある。もはや片時も目を離すことができないから、その段ポールに新聞紙とペット用尿吸収シートを敷いて、タオルを敷いて、寝かせた。3本のペットボトルの湯たんぽを所狭しと並べた。
何度か、注射器のシリンジでミルクを飲ませた。飲み込む力は、ある。だから、大丈夫。そう言い聞かせた、ポンちゃんにも、私自身にも。両手でコンピュータのキーボードを叩き、右手のマウスだけで済む作業になったときは、左手でポンちゃんのアタマや背中をさする。眠っているのだろう。大概はなされるがままにしているが、ときどきむっくり起き上がってきて左手にしがみついたりする。よしよし、ますます大丈夫。ね、明日の朝一番に病院に行こう。
夜半過ぎだったかな、一度びっくりするほどの力で私の左手に噛み付いた。それから、がっくりと首がたれた。たぶん、それが最後だったんだろう。でも、「最後」であることを認めたくない私は、なおもポンちゃんを抱きかかえ、背中をさすり続けた。胸に耳を当ててみても、心拍が聞こえる気がする。抱きかかえた私の腕の上で、被毛がゆっくりと波立っているように見える。
「死んで欲しくない!」と無理なことを思った。「ジェリーさんが死んだばかりなんだから・・・」、でも、それは、間違っているよ。もう一度繰り返すけど、私たちを「押しつぶしてしまう」のは、「不幸」そのものではなく、例えば、「私にだけ不幸が立て続けに起こる!」といった「観念」なのだ。「不幸が立て続けに起こる」事は、それほど珍しいことではない。局所的な「濃度分布」が存在することが、むしろ「システム」が生きている証なのだから。「観念」が人を萎縮させ、具体的な「不幸」と直面する力を奪い去ってしまう。
よせばいいのに、だらだらと何匹も猫を拾い続け、やがてその猫たちは当然のように次々と死んでいく。そのなきがらを抱きかかえて呆然とする哀れなみにくい初老の変人・・・、とか、「社会」が、いや、私が「社会」に成り代わって私自身に押し付ける、まさに「イデオロギー」としての「不幸」ではなく、ジェリーさんが死んだこと、ポンちゃんが死んだことの、具体的な「悲しみ」を、ちゃんと具体的に、「悲しま」なければならない、のだ!
とかいいながら、ずいぶんオカルトじみたことになるが、ポンちゃんがなくなった翌日は、ちょうどジェリーさんのときと同じように、びっくりするほどの快晴になった。私は、こんなに大量の猫を飼っていて、「猫好き」なんだが、そして、いつも一人でいるときはぶつぶつ猫たちと「会話」しているのだが、一方で、動物と「気持ちが通じる」という感覚をあまり持ったことはないし、それ系の話は鼻で笑うことにしている。
でも、この日はあまりに空がきれいだったので、きっとポンちゃんが、「おとうちゃん、ずっとジェリーとポンの看病で家に閉じこもってたから、たまには出かけて、気晴らししておいでよ!」って言ってくれてるみたいな気がして(笑)、いや、きっとそう言ってくれている、ことにして、出かけることにした。
摂食障害だから食べ物の味はしない。ウツだから「消費への欲望」もなく、ウィンドー・ショッピングの楽しみもない。だから出かけるところもこれといってないのだが、とりあえずモノレールに乗ってこの町で一番のショッピングモールに行った。あたりかまわず走り回る迷惑な子供たち、いつもは「殺意」を感じるほど不愉快なだけの対象も、あぁ、どう見てもこのふてぶてしいむかつくだけのくそガキにも、「かけがえなきもの」として愛を注ぐ人がおり、「学校の成績」や「将来の不安」やらの数々の「不幸」に押しつぶされつつも、ときとして、ただ、「生きているだけで、いい」と、掛け値なしに思える瞬間があったりするのだな、などと、めずらしくやわらいだ気持ちにもなってみた。きっと、錯覚なんだけど、な。
本屋さんで、モブ・ノリオ「介護入門」(文春文庫)、豊島ミホ「日傘のお兄さん」(新潮文庫)を買って帰った。その話は、また今度しよう。
モノレールの駅から、虹が見えた。「サムホェア・オーバー・ザ・レインボウ」って唄があっただろ?この唄についても、ちょっといい話があるんだけど、また今度にするよ。ポンちゃん、ありがとう。出かけてよかった。なんかすっきりしたよ。
沖縄は年中花が咲いてるね。でも、私はハイビスカスより、ブーゲンビリアが好きでね。これ花びらじゃなくて「がく」なんだよ。知ってた?そう、ほうずきみたいにね。ポンちゃんのお墓には、ブーゲンビリアの「花びら」をたっぷりまいてあげよう!
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